この診察室の第5回と6回でお話をした吉川さん(仮名)のことを覚えているでしょうか。吉川さんは79歳になり、今も息子さん夫婦と孫と住んでいます。77歳の時にアルツハイマー病と診断されました。その後、塩酸ドネペジルを服用して、私の外来に通院しています。1年半前と比べると少し記憶障害が進みましたが、日常の生活はほとんど自分で行うことができています。物盗られ妄想も、全くなくなったわけではないのですが、あまり目立たなくなって来ています。息子さん夫婦もアルツハイマー病といわれたときには、これからどうなっていくのだろうかと、不安だったそうですが、思ったほど困ることはなく、今は余裕を持って介護ができています。 |
食欲がなくなった吉川さん |
2週間前の来院時には、いつもとかわりがなかった吉川さんですが、最近1週間元気がなく、食事もいつもより少ししか食べなくなり、夜になるとわけの分からないことを言ったり、家の中に知らない人がいると言うような幻覚が出てきたので、どうしたらよいか息子のお嫁さんから相談をされました。
もう少し詳しく様子を聞いてみました。前回の受診の後に37度台の微熱があり、咳も少しでていたそうです。しかし、自然に咳も出なくなり、良くなったように思っていたのですが、それ以来元気がなく、食欲のないことが続いていました。そして、夜になると幻覚や意味不明のことを言うことも、元気が無くなった頃からということがわかりました。
認知症以外の病気に吉川さんはかかっていることが疑われたので、さっそく診察にきてもらいました。そして、胸のレントゲン写真で、肺炎のあることがわかりました。入院をしていただき、肺炎の治療を受けてもらいました。1週間後には、以前のように元気になり、食欲ももどり、夜間の幻覚なども消失しました。
|
認知症の人の肺炎 |
肺炎は、認知症の人にとって命を左右する病気です。肺炎の症状は咳と発熱ですが、認知症の人に限らず、高齢者には肺炎の症状が目立たないことも多くあります。認知症の人は、症状を訴えることができない場合もあり、吉川さんのように、食欲不振、元気がなくなったなどの症状が見られることがあります。今まで摂っていた食事を受け付けなくなったり、話の理解が悪くなったり、話の内容がおかしくなったり、元気であったのがぐったりした様子になったりして、これまで介護していたときと様子が違ったときは、咳や発熱がなくても肺炎を考えておく必要もあります。 |
せん妄 |
吉川さんにみられた幻覚は、肺炎が治った後は消失しています。この幻覚は、肺炎により、吉川さんの意識レベルが低下していたのででていたと考えます。この状態をせん妄と言います。せん妄では、注意の集中や維持が障害されて、物事を考えることが出来なくなっており、錯覚や幻覚が出現します。せん妄がでてくる背景には、吉川さんのような身体疾患があったり、入院といった環境の変化、そして坑うつ薬や胃潰瘍の薬などが関係していることもあります。せん妄の症状は、夕方から夜にかけての暗くなったときに多くみられます。せん妄は急に始まることが多いです。症状の程度も良いときと悪いときがあり、変動します。
自宅では特に問題の無かった高齢者の人が、手術のために入院をし、点滴の針を抜いてしまったり、夜間に意味不明のことを言って、看護師さんや家族を困らせることがあります。この時に、急に認知症になったと相談を受けることがありますが、これは認知症ではなく、先に説明をしたせん妄です。痴呆と間違わないようにします(表)。ただし、せん妄は認知症の人に出現しやすいことも覚えておいて下さい。
|
表: せん妄と認知症の違い
|
せん妄 |
認知症 |
意識 |
阻害されている |
清明 |
起こり方 |
急激 |
ゆっくり |
夕方や夜間に悪化する |
ある |
少ない |
身体疾患の関与 |
あることが多い |
ない |
薬の関与 |
あることが多い |
ない |
環境の関与 |
あることが多い |
ない |
|
この内容の無断引用・転載を禁じます。 |
←前のお話しへ
次のお話しへ→
|