第10回:仮性認知症

今回は、娘夫婦と3人暮らしの原田さん(仮名)という70歳の女性の話です。原田さんは、約30年前から駅前で夫と一緒に喫茶店を経営していました。夫は7年前になくなりましたが、その後も引き続き喫茶店をやっていましたが、初診時の5ヶ月前にお店を閉じています。

娘さんの話

原田さんは初診時の6ヶ月前から物忘れが目立つようになってきました。娘さんと話したことを忘れていたり、美容院の予約を取ったことを覚えていなかったり、同じことを聞いたり言ったりすることがあるということでした。
自分の身の回りのことや、買い物、家事などはきちんとできていましたが、以前とは様子が違い物忘れがあるらしいということで、娘さんがインターネットで調べたそうです。
その結果、物忘れはアルツハイマー型認知症の最初の症状であるということを知りました。原田さんに、物忘れが病気によるものかどうかみてもらいに病院に行こうと話をして受診してきました。

診察をすると

胸部や腹部には異常はありませんでした。麻痺や感覚障害もありませんでした。年月日については正しく答えられました。物忘れは軽度で、計算力は軽度低下していましたが、年齢相応の範囲の認知機能の低下でした。質問に対しては、答えるまでに時間がかかっていました。物忘れについては自分でもあると思っており、最近ひどくなったように感じていると訴えていました。
家事を含め日常生活はできるが、ひとりでいるのが不安と訴えていました。
何か他に具合の悪いところはありませんかときいたところ、胃のむかむかした感じがあり、食欲があまりなく、不眠がちであると答えました。

検査を行いましたが、血液検査では何の異常もなく、頭部MRIも正常でした。

娘さんともう一度話をしてみました

物忘れ以外によく訴えていることはないかときいてみました。むかむかする、口が渇く、食欲ないということを普段から言っており、よくため息をついていることがあると答えてくれました。また、以前はなかったことですが、ひとりで留守番をすることを寂しがるようになったということでした。

物忘れがひどくなったと感じた6ヶ月前頃に何か変わったことがなかったかをきいてみました。すると、その頃に原田さんの話し相手でもあり喫茶店を手伝ってもらっていた孫が結婚をし、店の手伝いができなくなったということで喫茶店を閉じることになったということでした。これをきっかけにして症状が出ていることがわかりました。

診断は

原田さんの物忘れは、娘さんが感じている生活面からのエピソードと比べると、診察では軽度であると判断しました。その他には計算力が少し低下している以外には、認知症でみられるような異常はありませんでした。
答えまでに時間がかかったり、胃の不快感、食欲低下、そして不眠の訴えなどの身体症状があることも特徴であると考えました。
症状の始まった時期が約6ヶ月前と特定でき、そのきっかけが話し相手の孫の結婚と喫茶店の閉店であることが推定されました。

以上のことから、認知症というよりも、うつではないかと診断をしました。

治療

抗うつ薬の投与をしました。そして、結婚をしたお孫さんにも協力をしてもらい、時々原田さんを訪ねて話をしてもらうようにしました。症状は徐々に改善していき、食欲低下や不眠などの訴えもなくなり、一人でも寂しがらなくなりました。物忘れに基づくエピソードもなくなり、喫茶店をやっていた頃と同じ原田さんに戻りました。

仮性認知症

原田さんは、認知症ではなくうつであったわけです。うつは時々認知症と間違われることがあります。うつのように認知症様の症状がありますが、認知症ではないものを仮性認知症といいます。仮性認知症の代表がうつです。

物忘れを訴えて来た患者さんが、アルツハイマー型認知症なのかうつなのかを区別することは大切です。その主な違いを表に示しました。アルツハイマー型認知症と違って、うつでは、症状の始まりが特定できたり、そのきっかけのあることが多いです。頭痛、めまい、食欲低下、不眠などの不定愁訴や身体症状を訴えることも少なくありません。物忘れの程度の割には日常生活面での障害が目立つということもみられたり、夕方よりも朝に症状がひどいという日内変動がみられることもあります。

高齢者のうつ

一般的には、うつでは気分がふさぎ、意欲が無くなり、何もしなくなってしまうことが特徴です。しかし、高齢者のうつではこのような抑うつ症状があまり目立たず、原田さんのように食欲低下や不眠などの身体症状の頻度の高いことが特徴です。めまい、頭痛、食欲低下などの症状に目がいってしまうとうつであることがみのがされ、身体疾患であると間違われてしまうことも少なくありません。

うつと認知症

うつと認知症の関係では、認知症の始まりがうつ症状であることも少なくありません。物忘れのある人達の経過を追ったところ、うつ症状のあった人に認知症が多く発症したという報告もあります。したがって、高齢者でうつと診断されたときは、物忘れのあるときは悪化していくことがないか経過をみてもらうことも大切です。


表. うつとアルツハイマー型認知症の違い

う つ 認知症
発症時期 何らかの契機がある特定できる もの忘れがいつとはなしに始まっている
もの忘れの訴え方 強調する 自覚がない
答え方 わからないと答えることが多い つじつまを合わせる
記憶障害 軽い割に日常生活の障害が強い 日常生活の障害と一致
身体症状 ある ないことが多い
日内変動 ある(朝よくない) ない
自殺念慮 みられる ない
*当診察室にご来院の患者さんの姓名は全て仮名です。

この内容の無断引用・転載を禁じます。


←前のお話しへ

次のお話しへ→